「50歳にして自らの使命を自得する」という孔子の言葉がこの研修名の由来。
実際に開校式で顔合わせした同期を見回してみると、57歳になる自分は上から三本指に入るロートル…「今更この研修を受けて何か変わるのか?」半信半疑で参加していた自分がいました。今のポジションで、大過なく地道な改善を続けることだって十二分に意味があることだし、それなりに組織の中で役割を果たしているじゃないか!と。
しかし、セッションを重ね同期の仲間と真剣な議論を重ねるごとに、「自分は何者か?」「社内での役割を忠実にこなすだけでいいのか」と、知命社中の術中に見事にはまり、いつしか寝ても覚めても「自身の使命」が頭を巡り続ける様になっていました。
知命社中では、何かを教えてくれるわけではありません。
講師陣も一方的に壇上で講義をするだけでなく、あらゆる問いを投げ掛けてきます。いくつか用意された非日常体験もそれを通じて何を得るかは参加者次第です。軽々しく「志」だと思っていたことに、あらゆる揺さぶりをかけられ、同期の仲間との青臭くも真剣な議論を通して「それは本物か?」と問いかけ続けられます。
そして8か月後の最終プレゼンでは、自身の使命=「志」といえるものを、泰然と確信をもって周囲に語れる様になりました。
世界遺産 金峯山寺での非日常体験
私にとってすべてのモジュールが刺激に満ちたものでしたが、その中で最も心に残っているのは、世界遺産「金峯山寺」での修験道の修行と、田中利典先生との出会いでした。
座禅・滝行・護摩業と利典先生との語らい。過酷な修行を無我夢中で実践する過程で、自身が背負っていた無駄なものがそぎ落とされ、リーダーとして常に謙虚であること。「お天道様は見ている」という戒めを心に刻むとともに、説得力と慈愛に満ち、聞いている自分がどんどん引き込まれていく利典先生との語らいを通じ、一人の人としての圧倒的な深さを感じ、自分が少しでもその領域に近づくには何が必要か。リーダーとしてどうあるべきかの一つの解になりました。
知命社中は、「生涯かけて成し遂げたい自身の使命」を探す、長く、しかし終わってみるとあっという間の旅。
思いを一つに互いに真剣に向き合うことのできる、かけがえのない同志(同期の仲間)との旅。
そして、その旅はこれで終わりではなく、新たな自分のゴールに向かって全力疾走する旅の始まりになりました。